インタビュー関東

僕たちは「一死3塁で叩き」はしなかった。26年ぶりの明石に出場した慶應義塾の戦い方(前編)丨小谷 将永さん

インタビュー

ピッチャーの投球と同時に三塁ランナーがスタートを切る。それを確認したバッターは、バットを上から振り下ろし、高く弾む内野ゴロを放つ。その間にランナーが生還。

どこで、誰が言い出した言葉かはわからないが、軟式野球特有のこの戦法は「叩き」と呼ばれる。強豪チームほど、この叩きを多用する傾向にあり、内野ゴロを打つための練習にも多くの時間が割かれるほどだ。

「全国で勝つためには、強豪と同じことをやっていてはダメだと考えていました。付け焼き刃で勝てるほど甘くはありません。だから、僕たちは叩きをしなくとも点を取れるチームを目指したんです」

2018年夏、軟式の”常識”にしばられなかったこのチームは、26年間も遠ざかっていた全国選手権の出場を果たす。第63回大会の慶應義塾(以下、「慶応」と表記)で四番を打った小谷将永(こたにまさとも、現慶應義塾大準硬式野球部)が、あの夏の戦いを振り返った。

あれだけ鍛えた守備のチームでも全国にはいけなかった

小谷の1つ上の世代はとにかく強かった。春の関東大会で優勝し、練習試合でもほとんど負けないチームだった。とりわけ守備練習には徹底して時間を割き、守備から流れをつくる、いかにもな「軟式の強豪」だった。

「1時半ぶっ続けでノックとか、当たり前でした。でも、それでも、全国には届かなかったんです。自分の中では『このチームは全国に行くもの』だと、勝手に思い込んでいました」

明石がかかった南関東決勝では、春の関東大会準決勝で勝利していた木更津総合に0-4で敗れた。かつては全国制覇の経験もある古豪は、四半世紀もの間、その夢舞台から遠ざかっていた。

「いくら守りが良くても、点を取れなければ勝てないことを痛感していました。先輩たちのおかげで、ある程度の守る力はすでに鍛えられていたので、僕たちの代はオフェンスを磨くのに時間を割きました」

四番からスタメン落ち

そんな攻めを目標に掲げるチームにおいて、小谷は恵まれた体格とバッティングセンスから、秋季大会前の練習試合から新チームの四番を任される。秋の県大会は準決勝まで進むも、桐蔭学園に延長13回で敗れ、関東大会出場を逃す。

春先のオープン戦も当初は四番だったが、恒例となっている関西遠征で不振に陥ったことで、スタメンを外された。

「うちは『打順を落として起用し続ける』ということはありませんでした。打てなければ、即メンバーを変える、そういうチームでした」

昨日まで四番を打っていた自分が、スタメンにすら入れない。当時の悔しさを振り返る小谷だが、この経験が自分の中にあった意識を根底から変えることになったという。

「それまでは1試合で1本ヒットを打てればいいかな、くらいの気持ちで臨んでいました。それでも打率は.250〜.300になります。

ただ、代打で出場する機会が増えると、その打席で結果を残さないことには、スタメンには戻れません。本当に1球もムダにできませんでした。その執着心が、夏の好調につながったと思っています」

小谷の中の意識が変わると、それはすぐに結果へと表れる。この辺り、さすがは伝統校の中軸を背負う男。春の県大会ですぐにスタメン復帰を果たした。ちなみに、その後の夏の予選では26打数12安打と、とにかく打ちまくった。年間公式戦打率も.355でチームトップ。不動の四番へと成長した。

法政二とのリベンジマッチで見せた慶応の戦い方

夏の選手権は2回戦で、春の県大会で負けていた法政二と顔を合わせた。法政二はその後の関東大会で準優勝を果たしていた。

先制され、逆転して引き離しても、また点差を縮められる厳しい試合だった。6-3でリードの8回に長打2本で同点に追いつかれたが、その裏に連打で4点を取り、10-7の壮絶な打ち合いを制した。

「あの試合がターニング・ポイントになったことは間違いないと思います。僕たちは攻めのチームを目指していましたが、それまで点をたくさん取れていたわけでもありませんでした。でも、法二を相手にあのような打ち勝つ試合ができたことで、1年通してやってきたことを成長として実感できました」

南関東大会に進んだチームは1回戦で千葉の市川と対戦。延長11回まで0が続き、12回表に先制点を与える。しかし、その裏に相手のエラーもあり2点を返してサヨナラ勝ちした。

決勝の相手は春の関東王者・栄光学園。この試合も8回まで2-4で負けていたが、8回裏に2点を返して同点に追いつくと、9回裏の慶応の攻撃、一死1塁で小谷が打席に立った。

5球目で一走が盗塁に成功。キャッチャーからの送球が走者に当たってボールが転々としている間に3塁へ、さらに相手の守備がもたついていると見るや、一気にホームに生還した。

「数秒の間にいろんなことが一気に起こって、理解が追いついてなかった感じです。校歌を歌っているときに、ようやく優勝した実感が湧いてきました」

2試合連続のサヨナラ勝ちで、慶応の26年ぶりの全国出場が決まった。

後編に続く

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