インタビュー北信越

元大学軟式JAPANになぜ上田西が強くなったのか聞いてみた┃中野 裕嗣さん

インタビュー

過去5年で3度の全国ベスト4。

今や強豪校として追われる立場になった上田西(長野)だが、全国選手権への初出場は第55回大会(2010)と意外と最近のことだったりする。3回目の出場となった第60回(2015)で初勝利を手にすると、その年を含め、第61回、第63回と4強入りを果たしている。

近年の上田西の快進撃を目の当たりにすると、当然のように浮かんで来る疑問がある。

「なぜ急に、それほどまでに勝てるようになったのか」ー。

初勝利を挙げたのは第60回大会。そして、その前年の第59回大会と言えば、崇徳(広島)と中京(岐阜)によって延長50回が繰り広げられた年である。この大会に3年ぶり3回目の出場を果たしていた上田西の当時の主将・中野 裕嗣(なかの ひろつぐ)に話を聞くと、近年の同校の躍進を紐解くヒントが見えてきたような気がした。

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1年秋から外野手としてレギュラーを勝ち取った中野は、2年の夏は県大会で敗退した。上田西では新チーム発足時に投票で主将を決めることになっているが、そのときは監督、部員全員が中野を推したため、無投票で就任した。

中野の世代は例年になく実力のある選手が多かった。秋の公式戦は5試合中4試合で7点差以上の圧倒的な強さを見せた(北信越決勝は雨天で松商学園との両校優勝)。オフシーズンを挟んで練習試合が解禁されると、その年から実施された春の関西遠征ではPL学園、天理、龍谷大平安、南部などの全国常連校との連戦を全勝で乗り切った。

夏に向けて視界良好のように思われたチームだったが、「あの時期がピークだったかもしれません」と中野が振り返る。

まず関西遠征の数週間後に、チームの主力だった選手が諸事情によって退部した。また、春にはエースだった白石が肩に違和感をうったえ、2年生の高野がエースナンバーを付けることになった。

向かうところ敵なし、全国が確実視されていたチームは春の県大会でまさかの3位に。その後の北信越大会ではなんとか優勝することができたが、もはや春先のような勢いはなかった。

そして迎えた夏。県大会代表決定戦の松商学園との試合は、9回まで2点ビハインドだった。中野を含め、誰もが負けを覚悟したが、相手のミスにも助けられ、首の皮一枚で北信越大会に進む。津南中等、富山第一を下して、富山商との決勝へ。地元の大応援団に圧倒されながらも5-3で勝利して、3年ぶりの全国選手権出場を果たした。

49回無失点の石岡から先制した上田西

第59回全国選手権開会式で入場行進する上田西。先頭が中野さん

初戦の相手は広島の崇徳(12年ぶり5度目の出場)に決まった。2014年8月25日午後、明石の第2試合で中野たちにとって初めての全国の試合が始まった。

4回表、先制点を挙げたのは上田西だった。相手のミス絡みではあったが、その後の準決勝で中京を49イニング無失点に抑えた、あの石岡からの得点だった。しかしその裏、3回まで無安打だった高野は、二死から3番石岡、4番沖西に連打を浴びてすぐに同点に追いつかれる。

「僕たちは『1点取って守り切る』という野球はできなかったので、勝つには複数得点が必要でした。でもあの時の石岡君からは、それ以上点を取れる気がしませんでしたね」。試合前には監督から「序盤に2得点」を指示されていたが、予選とは次元の違う速球を持つ石岡を前に、そのプランはもろくも崩れる。

8回には相手エースの重松がマウンドに上がると、その裏に勝ち越し点を献上。上田西の3度目の全国の挑戦は、またも初戦敗退で終わった。

写真提供:中野さん

その崇徳が中京と大接戦を演じたことは、連日のニュースで長野の地にも届いた。「あの石岡君と、鉄壁の中京なら、なくはない展開かなって。『すごいことしているなぁ』って見てました」。

数日前に高校野球を引退した中野にとっては「別世界」の試合のように見えた一戦は、一方で、崇徳戦を投げ抜いた2年生の高野、1年生でレギュラーだった片山ら下級生たちにとって、大きな自信になっていたことは想像に難くない。

彼ら下級生はまた、全国という経験以外でも、中野世代から大きなものを得ていた。

先述のとおり、中野たちの学年には例年になくレベルの高い選手が多く、日々の練習から高い水準で野球に取り組むことができた。

また「(チームが勝つことと同じくらい)後輩の指導にも力を入れていた」と振り返るくらいに、中野は愛のある厳しさで下級生に接した。そんな上級生たちに半ば恐れを抱きながらプレーする選手に対しては、一方でやさしくフォローする3年生もいた。

「もちろん、社交辞令もあると思ってますが、『あの(先輩たちとの)1年がなかったら、僕たちはベスト4入りできてませんでした』と後輩たちが言ってくれると、僕たちが残せたものはあったのかなと思えます」。

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これでもかってくらい考えられる「野球IQ」が高い選手が増えた

単刀直入に上田西が近年躍進できた理由を中野に聞いてみると「考えることができる選手が増えたからでは」と説明してくれた。

「高校軟式って、どこもそうだと思いますが、うまい選手が入ってくることは少ないですよね。今いる選手で、いかに戦えるかが重要で」。

そこで大事なのが『考えられる』ことだと中野は強調する。

『相手の初球の入りは直球と変化球、どっちが多いのか』といった基本的なことから、『投球がワンバンしそうになったら、ランナーは何歩までリードしても大丈夫なのか』といった細かいところまで…。点を取るため、ゼロで抑えるために、これでもかってくらい考えてプレーしてました。技術では勝てない相手でも、考えることができれば対等に戦えますし、プレーに余裕が生まれます。頭を使える選手=野球IQが高い選手が増えたことも、ここ数年の上田西の強さの要因のひとつだと思います」。

ちなみに、現にかつてと比べると、上田西の軟式野球部には国公立や難関私立を目指す特進コースの生徒も増えているという。全国を見渡しても、進学校と呼ばれる学校の軟式野球部には強豪が多いのも事実だ。

明石に出て東大に行くのは可能か
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中学補欠から上田西軟式を経て日本代表に

中野はその後「選手が主体的に考えてプレーできるチームで軟式を続けたい」と、監督不在(選手が兼任)ながら全国大会に連続出場している流通経済大でプレーすることを選んだ。

高校軟式出身の選手は中野しかいなかったが、技術で引け目を感じることはなかった。高校時代に培った軟式野球のすべてをチームに還元して、他の部員から信頼を得た。1年夏からレギュラーを獲得、2年夏の全日本選手権準優勝に貢献(打率.500、盗塁成功率100%)、秋には監督兼主将として東日本大会3位にも入賞した。

写真提供:中野さん

また、2年の冬には大学日本代表に選出されグアム遠征に帯同。現地チームとの親善試合や、日本人学校での軟式野球の普及活動にも参加した。「実は私、中学時代はレギュラーじゃなかったんです。そんな自分が、JAPANのユニフォームを着られるまでになったんだなぁ、って感慨深かったですね」。

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「今だから話せますが」と中野が教えてくれたことがある。

2014年の夏の北信越決勝。3年ぶりにつかみ取った明石への切符に歓喜に湧く上田西ナインの中で、中野はひとり浮かない顔をしていた。

「試合中、マウンドに集まったときに仲間と口論になる場面があって。『こんな大事な試合でひとつになれないチームなら、もしかしたら、ここで負けた方がいいんじゃないのかな』と思って試合をしてました。だから、心から喜べなかったんだと思います」。

不意に中野の頭をよぎった「ここで負けたほうがいいんじゃないのかな」という思い。仮に、あの年に、上田西が明石に行ってなかったことを想像してみる。

崇徳から1点を取ったチームとして上田西の名前が残ることはなかったし、逆に他のチームが崇徳を撃破していたかもしれない(その場合は延長50回も起こらなかった)。後輩たちがあの試合で全国のレベルを感じることができなければ、翌年の4強入りはおそらくなかっただろう。

上田西にとって、もっと言えば高校軟式野球にとって、あの年の上田西は全国に出なければいけなかった。北信越で負けてはいけなかった。そのことを、数年かけて、後輩たちが見事に証明してくれたのだ。

どこよりも考えることを武器に「河川敷から日本一」を目指す上田西が高校軟式の頂を極める日も、そう遠くはないだろう。■

この企画では、明石を目指してプレーした元高校軟式野球球児を紹介しています。全国出場を問わず、取材にご協力いただける方からのご連絡をお待ちしております!

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