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【元明石球児インタビュー #1】あの夏の日本一よりも嬉しかったこと 大瀬祐治さん(天理) <後編>

インタビュー
5年ぶりの全国選手権出場を決めた天理。今も語り草となっている1回戦の能代との激闘の裏側から、日本一までの道のりについて、当時主将でエースだった大瀬祐治さんに話を聞いた。そして、今のことやこれからの目標についても語ってくれた。

(本文中は敬称略)

<前編>はこちらから

2016年8月13日の午後、メンバー数人で集まって全国の組み合わせ抽選が決まるのを待っていた。現在でも軟式の場合は、1回戦は東日本と西日本のチームで対戦することが決まっている。東日本には前年度優勝の作新学院、同じく準優勝の能代が全国の出場を決めていた。

「いきなり作新か能代はヤダな、って話してたんです」。部長の先生から連絡が入った。初戦の対戦相手が能代に決まった。(まじかよ)。その場にしばらく沈黙の時間が流れた。

前年の第60回大会で準優勝の能代には当時2年生エースだった清水大智がいた。練習試合での対戦はなかったが、140km/hを超える速球を持っているという情報は得ていた。140km/hという速球は想像すらできなかった。

明石入りをして同じホテルで能代の選手を見た。「がたいやばいって」。全国大会のパンフレットには出場選手の身長、体重が記載されているのだが、その数値が他のチームと一回り違っていた。不安を抱えたまま全国の幕が開けた。

伝説の能代戦と桜丘戦の土壇場からの生還

8月25日、1回戦当日。この年から全国選手権の会場になっていたウインク球場(姫路)が初戦の舞台だった。天理は後攻。大瀬が先にマウンドに上がった。「完全に舞い上がっていた」大瀬。初回をゼロで抑えると、その裏、能代の清水の球を初めて目の当たりにした。

「よくアニメでボールが急に大きくなる描写ってあるじゃないですか。本当にあれなんです。気づいたらもう手元にボールがあるって感じで。軟式であんな球を見たのは後にも先にもあの時だけですね」

相当な苦戦を覚悟した。

しかし、実際は違った。攻撃陣が驚くほどに清水に喰らいついていたのだ。「普段、うちはこんな打つチームちゃうやんか」。戦前の不安をよそに、いざ試合が始まると野手陣が気を吐き散らしていた。

5回表、能代の清水が自らのバットで先制すると、8回表にも能代が追加点を上げ、0-2に。8月下旬とは言え、その年の夏も本当に暑かった。「それでもよく2点で抑えられていたと思いますよ」。8回裏、タイムリーと相手のエラーで2-2の同点に追いつき、チームは息を吹き返す。少しでも身体を休めたかった大瀬はベンチの奥でぼんやりと試合を眺めていた。「あぁ、こいつら追い付きよったな」。最早、ほとんど思考が回らなかった。

延長に入ってからも両者譲らず、試合は延長13回からタイブレークに突入。14回裏にサヨナラタイムリーで決着をつけた。結局、大瀬は14イニング、球数は200球を超えていた。

■激闘は14回にまで及んだ

「能代戦が全てでした。清水くんは250球を超えていたんじゃないかな。本当に『なんで軟式やってるんだろう』って選手ばかりでしたね。でも能代を倒したことで、もしかしたら…という思いが出てきていたのも確かです」

しかし、もしかしたら、では簡単に到達できないのが日本一の頂だ。。翌日の2回戦は前日の1回戦で全国初出場初勝利を果たしていた桜丘だった。練習試合では勝っていた相手。しかし天理ナインには疲れが色濃く残っていた。さすがに先発を回避した大瀬だったが、味方は2回に一挙3失点を喫す。居ても立ってもいられず、監督の前で腕をぐるぐる回した。「いってこい」。

3回途中から連日のマウンドに上がる。1-4と3点差のまま9回裏に。1点を返して、らさに二死2、3塁。打席には大瀬。「こういうときって本当に回ってくるんだな」。大歓声の中でも頭は冷静だった。

「自分で言うのも何ですが『持っている』としか言いようがないです。だって、通算打率は1割そこそこですよ。それなのに比叡山戦といい、この試合といい…」

果たして大瀬が放った打球はレフト線への走者一掃のタイムリーとなり、土壇場で同点に追いつく。この試合も13回からのタイブレークに持ち込むと、13回表の1得点を守り準決勝進出を決めた。

「もうあれだけやったので、タイブレークに持ち込めば抑えられる自信がありました。結局(タイブレークでの)点の取り方は最後までわかりませんでしたけど(笑)」

準決勝後の監督のげき、日本一へ

2試合連続のタイブレークを制した天理。休養日空けの準決勝の相手は上田西。

「能代、桜丘戦を乗り越えて、チームには自信がみなぎっていました。上田西さんはまとまりのあるチームでしたが、突出した選手は見当たらなかったので、これまでの2チームよりはやりやすいかなと」

しかし、上田西のエース坂口に苦しみ、またも0-0で延長戦に。10回裏、天理は相手の送球ミスでサヨナラのランナーが生還。天理史上初の決勝進出を果たし、高らかに校歌を斉唱した。

決勝進出に湧いていた天理ナイン。しかし事件は起きた。「決勝進出を決めた直後にめちゃくちゃ怒られるって前代未聞でしょう」。ベンチに引き上げると、木田監督からげきが飛んだ。バントの失敗をはじめ、チーム発足から一番大切にしていた基礎がここにきて実践できていなかったことに対する、監督からの最後の「厳しさ」だった。決勝戦を前に再びチームは兜の緒を締めた。

翌日の決勝戦は雨で順延。勝ち上がってくると予想していた作新学院を準決勝で倒した早大学院との決勝戦は5-0 と快勝。全国4試合目にして、ようやく自分たちらしい野球が実践できた。

その後、岩手国体も制して選手権、国体と二冠を達成。大瀬の長い高校軟式野球は幕を下した。

日本一になったことよりも嬉しかった2つの出来事

選手権と国体の二冠達成。とてつもない偉業を達成したはずなのに、すぐに平穏な日常が訪れた。

「日本一、国体も制したら、普通の高校生なら天狗になったり、驕り高ぶったりすると思うんです。でも、みんなは全くそんなことはなかった。何事もなかったかのように、卒業まで高校生活を送ってくれました。引退後も最後まで『応援されるチーム』を全うしてくれた。主将としてのチームづくりは間違っていなかったんだなって」

また、もう一つ、忘れられないエピソードがある。同学年の選手で、秋以降は全く投げることができないピッチャーがいた。最後の夏、打者1人でもいいから、高校野球を経験させてあげたいと思っていた。

「県大会決勝で5点差がついたら、最後の1人は彼に投げてもらおうって話をしました。そしたら、みんな本当に5点差をつけて。ツーアウトまで自分が投げて、その選手ににマウンドを譲ったんです。そしたら、ストライクが入らずに三者連続四球…。でも、もうその選手を代えることは、誰も考えていませんでしたね。仮にそれで終わってしまっても、みんな納得したと思います」

彼が誰よりも努力をしていたことをみんなは知っていた。だから信じることができた。最後のバッターをサードゴロに打ち取って無失点で試合は終わった。その選手は近畿大会からはベンチに入ることができなかったが、引退後に感謝の気持ちを伝えられ、大瀬は感極まった。日本一になったことなんて、霞んでしまった。

人と関わって生きていきたい

その後、天理大学の人間学部に進学した大瀬は社会福祉を専攻している。将来はデスクワークよりも人と直接関わる仕事がしたいと社会福祉士になるために勉強や実習で忙しい日々を送っている。

「もともと高校野球で区切りをつけるつもりでしたから」と大学では野球を続けなかった。地元の社会人チーム・天理ジャガーズで草野球を楽しんでいる。2018年にはB級の全国大会に出場して、少しだけ高校時代の興奮を思い出したりもした。

学生生活を謳歌しているように見えた大瀬だったが、実は大学生1、2年生時は目標が見つからず「燃え尽き」に陥っていたという。学校に行って、バイトをして、週末に草野球をするの繰り返し。夜遅くまで飲んだり遊んだりする「普通の大学生」の楽しみ方が分からなかった。

3年生になり、学生生活も折返しを迎えたとき、改めて自分を見つめ直した。

「『人のためになること』と、『何かに没頭できること』が一番幸せなのかなって。没頭できること、つまり自分が本当に好きなことって何だろうと考えたとき、自分にとってのそれはやっぱり高校野球だったんだと気づきました。自由に使える残りの大学生活で、高校軟式に何か恩返しができないかと考えています」

近い目標を見つけた大瀬の目は輝きを取り戻した。

「軟式が硬式ほど注目されないのは仕方がないと思っています。それでも見てくれる、応援してくれる人がいるということは選手にとって大きなモチベーションになると思います。自分も全国に出て、注目されるのが本当に嬉しかった。具体的にまだわかりませんが、そういった選手や親御さんのためにできることをしたいです」

目立ちたがり屋だけど謙虚であり、自信がありそうで不安がりな一面もある。この短時間の取材中にも、いろいろな表情が交互に顔を覗かせる元日本一投手は、実に人間味にあふれていた。人と野球が大好きな大瀬は、いま新しい一歩を踏み出そうとしている。■

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